日本史

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日本史勉強は、
2つのステップを踏むことで完成の域に達します。

この2ステップ日本史勉強法で実力を養成し、
高成績と合格をめざしましょう。

同じき源氏と申せども、八幡太郎は恐ろしや (梁塵秘抄 巻第二)
(同じ源氏とは言っても、八幡太郎源義家は恐ろしい男だ)

後白河法皇が編んだ「梁塵秘抄」の中に、
上のような今様が載っています。

前九年の役・後三年の役で有名な清和源氏の守護神、源義家は生前から武勇で名をはせていたようです。

日本の歴史上、きわめて残酷な人物であったという説もありますが、
この義家の子孫から、
鎌倉幕府の源頼朝、
室町幕府の足利尊氏という二人の武家政権樹立者が出ています。

日本史勉強法のポイントは2つあり、
この2つのことに注意して日本史勉強を進めれば、
受験勉強レベルの日本史はほぼ完成の域に入ります。
奇策は必要ありません。きわめて常識的な勉強方法で突破できます。

日本史勉強の最重要点
(日本史勉強の最重要点は、
大きな流れを把握することと、
重要事項の詳細学習にあります。)

勉強の仕方で、最初の重要な点は、
@日本史の大きな流れを把握する、ということであり、
二番目の重要点は、
A日本史上の重要事項は詳しくほりさげて勉強する、ということです。





この二つのことを念頭において日本史勉強をしていけば、
受験レベルの日本史で困ることはない。

この勉強法をもう少し具体的に言うと次のようにまとめることができる。

◎日本史勉強法のポイント

1 政治史とそれに付随する外交史の大きな流れを勉強する
2 重要事項は年代も含めて詳しく勉強する年代の覚え方は後述)
   

1をふまえた上で2を実行に移せば、日本史勉強はほぼ完成する。

あとは志望校の特徴にあわせた対策を立てれば、
日本史はほぼ万全の域に入る。

だから、まず初めに政治史の大きな流れを把握して、
そこに細かい事象を肉付けしていけばよいのであるが、
より具体的な勉強のしかたとしては、
日本史の問題集や参考書などを使って、
実戦形式で何回もくり返し勉強するのが最も効率的である


日本史の問題はよく出題される事項はある程度数が限られている。
こういった頻出問題は参考書や問題集で実際に勉強するなり解いてみたりして演習を重ね、歴史の頻出事項そのものをそこで学習してしまうことが最も効率的なのである。

以下で簡単に勉強法1について補足する。
ただし勉強法にも各自工夫が必要な場合もあるので、
この勉強法を土台にしての改良が必要なこともある。

日本史勉強の中心になるのはあくまでも政治史である。
政治上の大きな流れをつかむことが勉強の第一歩になる
日本史勉強法を述べる場合には、まずこの事を言っておかなくてはならない。

これに続くのが外交史である。
この二つをマスターすれば日本史勉強は楽にできるし、点も取れる。

だから、勉強法の核として政治史と外交史をよく勉強して欲しいと思うが、
志望する大学・学部によっては出題される問題に特徴のある場合もあるので、自分の受ける大学の「傾向と対策」については十分研究しておくこと。

政治史の勉強法については、あくまでも日本史の政治の大きな流れの知識がその根底にあることが前提になる。
つまり、どういった勢力が政治の実権を握り、実際に政治を動かしていたかの大まかな変遷が頭の中に入っていなければならない。

これができていないと日本史勉強は前に進めない。

例えば、以下のようにみていけば日本史のおおよその流れはつかめるだろう。

大和朝廷の統一に始まった日本の政治体制は、蘇我氏の打倒により天皇を中心とした令制度へと移行する。

律令制度の中で、藤原氏を中心とした貴族政治が生まれ、これはやがて摂関政治へと移行する。

摂関政治のなかでくすぶり続けた天皇家側の不満が院政の開始となって現れる。

ここで忘れてならないのが、武士の台頭である。
清和源氏は藤原摂関家と結び桓武平氏は院に接近することにより、それぞれ勢力を拡大した。

この源平二大勢力が直接対決したのが、
1156年の保元の乱、1159年の平治の乱である。





1156年の保元の乱は対立関係が複雑なので勉強上注意が必要。

天皇家内部の対立、藤原摂関家内の対立、源氏と平氏入り乱れての争いはかなり複雑。

簡潔にまとめると、このようになる。

崇徳(すとく)上皇(後白河天皇の兄。父である鳥羽法皇に疎まれていた))方

藤原忠実、藤原頼長(忠実、頼長は父子。忠実は頼長を溺愛し忠通を疎んじた)
源為義、源為朝(為義、為朝は父子)、平忠正(清盛の叔父)

後白河天皇

藤原忠通(関白。忠実の子。関白を頼長に譲れという父の言葉を無視)
源義朝(為義の子)、平清盛、源頼政

この乱の直接の原因になったのが、天皇家内部の皇位継承問題だ。
鳥羽法皇に疎まれていた崇徳天皇は心ならずも退位させられてしまい、弟の近衛天皇が即位した。

その近衛天皇が早死にしてしまったので、崇徳上皇は自分の皇子が当然皇位を継げるものと思っていたが、実際に即位したのは当時とりえのない人物と思われていた後白河天皇であった。

これにはさすがの崇徳上皇も怒り心頭に達したようだ。
鳥羽法皇はそこまで私を嫌っているのかと。

これが、鳥羽法皇が亡くなってすぐに乱が勃発した理由だ。

崇徳上皇は歴代天皇の中でも悲運の天皇の名に値する人だ。
父である鳥羽法皇に限りなく疎まれていたようだが、それには理由があったようだ。

崇徳上皇の本当の父親は鳥羽法皇ではなく白河上皇だったという説があり、当時の宮廷内部および上層公家の間では、このことは周知の事実であったようだ。

失意の崇徳上皇は讃岐に流され、
「われ日本国の大魔王とならん」という呪いの言葉を残して亡くなった。

後に西行が讃岐を訪れ、歌を一首詠んでいる。

よしや君 昔の玉の床とても かからむ後は何にかはせむ
(あなたが昔お住まいになられた玉のような御殿も、今となってはそれをお望みになっても甲斐のないことでしょう[むかしの栄華はお忘れになって安らかにお休みください])

この話は、上田秋成の「雨月物語」の中の「白峯(しらみね)」という段にも出てくる。
西行が崇徳上皇の亡霊と対面する話で、他の段と同様読んで面白いものになっている。

ついでだから言っておきますが、
文学史と日本史のからみも重要であって、
出題頻度も高いものですので、
文学作品が出てきた時には、
ちょっと手間がかかりますが、
その作品の時代背景や政治状況にも、
注意をはらっておくということも必要です。

この二つの事件は、
日本の歴史上、武士の力をまざまざとみせつけた重要な出来事であり、
これ以降政治の実権は武士へと移る。文字通りムサノ世愚管抄となっていく。

鳥羽院ウセサセ給ヒテ後, 日本国ノ乱逆ト云コトハヲコリテ後,
ムサノ世ニナリニケル也 (慈円 愚管抄
(鳥羽上皇がお亡くなりになった後、日本の国に争乱が起こり、それ以降武士の世になってしまったのだ)   

本格的武士政権への橋渡し的かたちで登場したのが、一代の英雄平清盛である。





余談になるが、清盛は人間味のある人物で好きだね。義朝の幼い子供を全部助けてるからね。普通なら幼くても皆殺しだよ。現に頼朝は清盛の嫡流を根絶やしにしている。六代なんかをね。

すごいよ、頼朝の執念は。父義朝の敵討ちで長田親子をなぶり殺しにするやら、清盛の一族を草の根分けても捜し出すやら。

さすがに重盛の孫だけにすぐには殺せなかったけど、六代が生きているのが気になって気になって仕方なかったみたいだね。三十近くまで生かしておいたようだけど、終いには斬らせている。清盛の嫡流の存在がよほど怖かったんだろうね。

平治物語に詳しく出てるよ、清盛とか頼朝がどんな人物だったか。

源頼朝という男は、よく言うと冷静沈着、悪くいうときわめて冷酷非情な人物だ。
なぜこういう人物になってしまったのか、「平治物語」を読むとわかると思うよ。

十二、三歳で平治の乱に参戦し、負けた者の悲哀と無情を身にしみて経験させられている。
特に、父義朝とともに東国へ落ち延びるくだりの描写は、父子の情愛に満ちたもので涙を誘う。

保元物語も非常に面白い物語だ。源為朝中心の記述になっているが、当時の武士の合戦の作法とかがわかって興味深い。それにしても為朝って化け物か、この人。

八幡太郎義家も強弓で有名であったようだが、為朝の弓はその上をいっていたようだ。

「吾妻鏡」にも実際に為朝の弓の強さを見た者の証言が載っているので、
身長七尺(約2メートル10センチ)に見合った弓の強さであったのだろう。
弓矢一本で船を沈めたと「保元物語」の最後に書いてある。

「為朝ガ上コス源氏ゾナカリケル(為朝の上をいく源氏なんていなかったよ)」

まさに個人レベルでは日本史上最強の武者。それが源為朝だ。

だけど清盛もたまったもんじゃないわな、助けてやった当の本人に自分の一族が滅ぼされちゃったんだから。おかげで清盛の子孫を拝むことができなくなってしまったのは残念だね。

平成23年度のセンター試験古文の問題に、この「保元物語」が出題されていた。
ヌルハチが名前を挙げて取り上げたものは日本史勉強以外でも要注意だよ。
特に古文なんかは日本史勉強とはかなり密接なつながりがある。

ついでだから触れておきますが、
文化史や日本文学史も日本史勉強には欠かせません。
高得点を期待するなら、この方面での勉強にも力を入れるべきです。

上に出てきた「愚管抄」などは、
日本文学史上のみならず、日本史においてもきわめて重要な著作であり、
大学入試の問題でもよく出題されます。

作者である慈円は天台宗の僧侶でありましたが、父は藤原摂関家の藤原忠通でありました。

慈円自身は朝廷側の人間でありましたが、
源頼朝の鎌倉幕府を否定することはなく、
むしろ頼朝の政治を道理にかなっていると評価しているのは、
非常に興味深いことです。

日本史勉強の方法は一つではありません。
「愚管抄」という作品から藤原氏の興亡の歴史を学び、
源氏や平氏の武士階級の台頭と武士政権の樹立の歴史を研究してみる。

こういった一つの事象や人物、
あるいは一つの文学作品から日本史勉強に入っていく。
このような勉強の仕方もときには必要であり、
また有意義なものであることを付け加えておきます。

 愚管抄 全現代語訳 (講談社学術文庫)


 保元物語 平治物語 承久記

平氏政権を打倒し、日本史上初の本格的武士政権鎌倉幕府を打ち立てたのが源頼朝であるが、
源氏の支配は源実朝で終わり、
以後北条得宗家による執権政治となる。

1221年 後鳥羽上皇北条氏打倒を目指し兵を挙げるもあえなく敗退(承久の乱)。

後鳥羽上皇ってどんな人だったと思う。

和歌で有名だからそのイメージが強いと思うけど、この人は普通のお上品な天皇とはちょっと違う人だ。

ばくちはうつは、女は囲うは、さらには刀鍛冶のまねまでして自分で本物の刀まで作っちゃった人だ。
おまけにかんしゃく持ちの面もあったようだ。

承久の乱の直接の原因も、「亀菊」という愛妾に与えようとした荘園が原因だといわれている。

鎌倉方と戦を起こしたものの、鎌倉方から十六万の大軍を送られてあっさり敗れ、
逃げ帰ってきた武士たちに、
「おまえたちがいると鎌倉の軍勢が来たときに困ることになるから、
早くここから立ち去れ」と言って、武士たちを激怒させた人である。

「日本一の臆病者」
これがその中の一人が後鳥羽上皇に対して吐き捨てた言葉だった。

このため、後鳥羽上皇は十九年も「新島守」をすることになってしまったわけ、隠岐の島で。
やることがないから得意の和歌に没頭して、その道でも名を残すことになったのだ。
人間的には面白い人だけどね、この天皇は。

われこそは新島守よ隠岐の海のあらき波風こころして吹け

きまってるよな、この歌。

また、承久の乱を記した軍記物語に「承久記」があるが、
この中には当時の鎌倉武士の本音が語られている部分があり、
きわめて現実的で割り切った考え方をしていたことが見て取れる。

京都へ攻め上る途中での、武田と小笠原という二人の武士の会話である。
武田が小笠原に向かっていう場面である。

「ヤ給ヘ、小笠原殿。本ノ儀ゾカシ。鎌倉勝(かた)バ鎌倉ニ付(つき)ナンズ。
 京方勝バ 京方ニ付ナンズ。
 弓箭(ゆみや)取(とる)身(み)ノ習(ならひ)ゾカシ、小笠原殿」

(いいですか、小笠原殿。大事なことですよ。鎌倉幕府方が勝ったら、鎌倉方の味方になりましょう。
後鳥羽上皇方が勝ったら、上皇方の味方になりましょう。
これは弓と矢で生きるわれわれ武士の常識(作法)ですよ、小笠原殿)

要するに、自分たちの得になる方の味方になりましょうという話である。
清和源氏主流の系統である武田と小笠原という一族も、
時流に逆らわずに生きようとしていた姿がこの一文からも窺う事ができて興味深い。

ちなみに、「承久記」も日本史勉強と日本史の試験では要注意だよ。

北条泰時は覚えておきましょうね、この男は優秀ですからね。
北条一族は日本史において貢献度大。
貞永式目(御成敗式目)」最初の武家法で、泰時の一枚看板だ。

北条一族からは、北条時頼、北条時宗(元寇の時の執権)らが出たが、やがて衰退していく。

鎌倉幕府第8大執権北条時宗は日本史上もっと評価されていい人物だ。

当時世界最強と考えられていたモンゴル軍を、
文永の役(ぶんえいのえき 1274年)
弘安の役(こうあんのえき 1281年)と二度にわたって撃退した。

時宗自身は34歳で病死しているが、
歴史的には日本の外国支配を防いだ人物としてよりいっそうの評価が必要だ。

首尾よくモンゴル軍を退散させ、
その権威と実力を世に示した鎌倉幕府と時宗でしたが、
その代償は大きなものでした。

御家人階級は2度の兵役に服しましたが、
この戦では新たな領地を獲得できたわけでもなく、戦利品を手に入れることもありませんでした。

御恩と奉公は鎌倉幕府の存立基盤として機能してきましたが、
この元寇を境にその双務関係に変化が生じたのです。

つまり、この2度の兵役とその後の対モンゴル警備で、
御家人は軍事的負担と多大な経済的負担を強いられたにもかかわらず、
それに対する恩賞はほとんどなく、
借金などを重ねて経済的に衰退していったのです。

こうした事情から、幕府と御家人との信頼関係はそこなわれ、鎌倉幕府滅亡の要因となりました。

このころの武士は、いわば独立自営業者のような存在であったようです。
「蒙古襲来絵詞」で名を残した竹崎季長も、
馬などの財産を処分して旅費を工面し、
鎌倉に上って自己の手柄を訴えて恩賞を求めたといわれています。

また、没落する御家人階級に取りかわって、
新たに勢力を伸ばしたのが悪党と呼ばれる新興勢力ですが、
このころの事情についても、日本史勉強の際には注意を払っておく必要があります。

 蒙古襲来


 蒙古襲来―転換する社会

また、このころの武士階級の生活ぶりをうかがい知る助けになるものに、
「男衾三郎絵巻(おぶすまさぶろうえまき)」があります。
これなども日本史勉強の一助になるでしょう。

鎌倉幕府の衰退と、社会的混乱の中で登場するのが後醍醐天皇です。
後醍醐天皇は自ら政を行なおうとした最後の天皇で、その執念は凄まじい。

この頃から両統迭立の動きが起こったが、南朝方は、名和長年楠木正成
新田義貞
北畠顕家らの武将を次々と失い、天皇による建武の新政は挫折した。

後醍醐天皇は日本の歴史上天皇らしい最後の天皇と呼ぶにふさわしい天皇だ。

護良親王懐良親王らの優れた勇気のある皇子たちに恵まれ、北畠親房らの公家にも支えられて奮戦したが、「時利あらず」。失意のうちに吉野に没した。

この天皇のすごいところは、「天皇親政」に対する執念である。
二百年続いた院政を廃止し、自ら政を行なおうと、
正中の変元弘の変という二度の失敗にもめげず、
吉野に陣取って戦いを指揮した。

政治的権力という観点からは、後醍醐天皇は正に最後の天皇であり、
その存在は日本史の中で燦然と輝いている。

ちなみに、現在の天皇家は北朝の系統である。

建武の新政の崩壊に乗じて登場した足利尊氏により、室町幕府が開かれることになるが、
この政権は「幕府」とは名ばかりで、有力守護大名による連合政権であった。

この足利一族は、
日本史上ではたいしたことやってないんで、
書くこともないが、金閣、銀閣と日野富子ぐらいか。
日野富子なんて応仁の乱起こして日本をめちゃくちゃにした女性ですね。

応仁の乱以後、日本の歴史は戦国時代へ突入し、政治的無秩序状態となる。

日本史勉強は、
以上で述べたように歴史の大きな流れに注目して勉強していけばいいのであるが、、
その際に問題となるのが参考書や問題集である。

日本史の参考書や問題集はどれを使ってもしっかりとやればそれ相当の力はつくが、
やはり優劣とか特徴というものはある。

市販されているものの中で推奨できるものを掲げておくので、
日本史勉強の参考にしてほしい。

厳選日本史参考書と問題集

このような(↑)参考書や問題集を使って反復勉強をして欲しい。
大きな流れをつかんだ上で個々のこまかい事象を補足していく。

日本史勉強法の基本がここにあることをあらためて述べておく。
なお外交史は政治史と関連付けて勉強するようにすること。


日本史年代は年表を何回もながめて覚える
視覚から入るんだよ、視覚から。
パラパラとめくって、年代の近いものを同時に覚える勉強法が効果的。

これがもっとも効率的で効果があがる。
慣れると速いよ、この覚え方・勉強法は。数字の形で覚えるから。
だから視覚といったわけ。

パソコンによる勉強と同じだよ。何回もながめていると覚えちゃうだろ。
日本史年代カードを使う勉強法は、この方法の変形にすぎない。


耳よりな日本史講義!
NEW石川日本史B講義の実況中継

これは聞いて覚える耳からの日本史勉強です。
史実の暗記や確認に、試してみる価値大のものです。

NEW石川日本史B講義の実況中継(1) 原始~古代  NEW石川日本史B講義の実況中継(2) 中世~近世  NEW石川日本史B講義の実況中継(3)近世~近代

NEW石川日本史B講義の実況中継(4)近現代  NEW石川日本史B講義の実況中継(5)文化史


日本史に残り続ける竹崎季長の偉業
竹崎季長の一枚看板である「蒙古襲来絵詞」。
季長は、この絵巻物一つのおかげで、
日本史の上でこれからも輝き続けます。

蒙古合戦の勇将 竹崎季長  蒙古襲来絵詞と竹崎季長の研究  絵巻 蒙古襲来絵詞 日本の美術


母から聞いた仙台四朗の話
「福の神」として、
半ば伝説となっている人物です。

福の神になった少年―仙台四郎の物語


シベリア抑留と近衛文麿の長男
知る人ぞ知る近衛文麿の長男である、
近衛文隆の波乱の一生物語です。

近衛家 七つの謎


府中に名を残す井田是政の業績
井田是政の名前を知っている人は少ないでしょうが、
府中界隈では貢献度大の有名人です。
日本史上では、希少価値のある人物といえます。


目撃!生徒がたった二人の日本史授業!
大教室に生徒が二人だけ!
驚きの目撃談とは、


超新星の記録を残した藤原定家の功績
定家は文学史のみならず、
日本史および天文学上においても、
貢献度がきわめて大の人物です。

藤原定家 (コレクション日本歌人選)


冷泉家時雨亭叢書 別巻三 翻刻 明月記 二


覚えやすければゴロでもいい!
まんが必修年代暗記法日本史



まんが必修年代暗記法日本史 (シグマベスト)


身の程がわかる日本史B標準問題精講


日本史B標準問題精講


日本史領土問題
国家と領土問題は、
切っても切れない関係にあります。
日本史における領土問題の重要性について考えます。


古典古文を助ける日本史
日本史の知識があると、
古文の勉強も楽になります。


まんがで覚える中学歴史!
中学歴史 上巻 改訂版
(まんが攻略BON!2)



中学歴史をまんがで攻略!
中学歴史 下巻 改訂版
(まんが攻略BON!3)



勉強に必要な自分なりの創意工夫!


集中できる連続学習時間はどのくらいか


学習スランプ時のショック療法


勉強は自分のためにするものです


「ゆとり教育」が失敗した本当の理由


葦編三絶はもう死語なのか


自分の将来への投資!それが勉強です


世界の強敵に立ち向かう学力


勉強は日々の積み重ねがものをいう


緻密過ぎる学習計画は挫折する


合格の花道


英語勉強法


英語学力テスト(文部科学省)


英単語英熟語


英文読解


英語長文


英文法


英作文


究極リスニング


特A受験英語


英会話


国語勉強法


現代文


古文


漢文


日本史


世界史


教育的配慮


教師の心ない言葉


内申書


ガリ勉


K君のこと


M君のこと


予備校


大学


学歴社会と競争


成績不振からの現実逃避


模擬試験


通信教育


参考書の選び方


差をつける問題集の使い方


英語参考書


国語参考書


世界史参考書


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